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町指定文化財 大森彦七供養塔
(所在地;愛媛県伊予郡砥部町各所)


  この供養堂は、「太平記」に記されている大森彦七に関する遺跡の中で代表的なものの一つである。 正徳2年(1712年)、麻生の庄屋田中が、彦七の功を永く称えんとして、庄屋田中次兵衛及び五本松村小助、川井村忠左衛門の協力により建立した。 湊川の合戦で、楠正成を切腹させ豪勇をうたわれた彦七も、江戸時代後期、大日本史の南朝正統論の影響を受け、後醍醐天皇派を苦しめた逆賊と見なされた。 風雪にさらされた3つに折れた塔身は、彦七の末路の哀れさを無言で語っているようである。 碑面には、「長盛院殿大森彦七居士神儀」と刻まれている。
昭和62年8月 砥部町教育委員会
(以上供養堂内解説文)


解説文通り塔身は折られていてかなり物寂しいです。 (一番下の写真です。)3つの石碑以外ないんですよね。 太平記時代の後醍醐天皇は善政を行ったような図書を見受けますのでやはり逆賊扱いのためでしょうか。 さらに大きな池のある山の途中にありぜんぜん目立たないところにひっそりと建っています。 この区域の千里城城主でした。千里城も我が家のフォトアルバム(お城のページ)で紹介しております。

大森彦七供養塔

大森彦七供養塔

大森彦七供養塔


八取川
 現在はほとんど流れはありませんが、この地は八取川と呼ばれた川です。 大雨のあとは川らしい光景になるのですが通常は干からびた感じです。 楠正成を討ち取った大森彦七は恩賞におごっていたが、ここ八取川で正義の鬼が美女となりて彦七を襲ったと伝えられています。

八取川


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